2011年05月05日

記憶2

あの日の地震は一つでは無く、3,4箇所でほぼ同時間帯に起きたようで・・・だから時間が長くて、何度も強くなったんだ・・・・・


3.11 
わたわたしているうちに暗くなってきました。

001.JPG 007.JPG

物は落ちましたが、思ったほどでもなかったのですが、
至る所のクロスに亀裂が入りました。


ところで、この不便な生活の中でもラッキーなことがありました。

我が家のラッキー1
・反射式石油ストーブを宮城岩手内陸地震の後に購入していました。反射式ストーブとファンヒーターの2本立てで普段から使用しておりましたので暖については問題なし。

ラッキーその2
・地震の数日前に、給湯機の灯油がすっからかんになってしまい空焚き状態に。急きょそこの灯油タンクと、ついでに暖房用灯油タンク(我が家には二つある)にも補てんしてもらっていたのでその後の燃料不足も大丈夫でした。

ラッキーその3
・二日前に、我が家のぶっかれコンロを最新のテーブルコンロに交換していたのです。
最新式のコンロには「勝手に炊飯」機能があり、さらにガス屋におねだりして炊飯用鍋をプレゼントしてもらったので停電でもコンロに貼りつくことなくノータッチでおいすぃご飯を炊くことが出来ました。

ラッキーその4
・毎年大曲に行っているおかげで、電気、水道の無い生活でも大丈夫なだけの備えがあったこと。
ランタン、懐中電灯、ヘッドライト、電池でも見れるテレビ、昨年の大量ぶんぶん棒に入れた電池他電池各種・・・・・薄暗いものの各部屋での灯り、情報は手に入れることが出来ました。
また、ぶっかれの車にはサブバッテリーが搭載されておりそれで携帯の充電、最後にはコードを引っ張って居間のテレビを見ることが出来ました。
(それで、初めて惨状を知った)

ラッキーその5
・前日の私の車のガソリンがすっからかんになり当日の朝に満タンに給油出来ていた

ラッキーその6
・昨年の秋のコメの収穫時にたんまり購入していたので、人数が3倍になってもコメには困らなかった。

等々・・・・・確かに不便ではありましたが、それなりに過ごすことが出来ました。

窓から見る外は真っ暗。
どこの家からも明かりがもれません。
もちろん道路も真っ暗。
たまに通る車のヘッドライトのみです。


その日の夜は、ラジオはずっとつけていました。
余震もひっきりなしにありましたので、パジャマに着替えることなく、ジャージ、トレーナー、靴下、さらにコートを着て、ポケットには携帯をしのばせ、枕元には災害グッズを詰めたバッグを配備。
・・・・・・・でもいざという時持ち忘れるんだなぁ。

義母は持ち忘れるので斜めがけバッグをかけたまま寝てたそうです。

その日の夜のラジオは何が流れていたんだっけ・・・・・あまり覚えていません。
余震の地震情報と、沿岸の津波の情報、壊滅的ってなんだ・・・・・・


ぐすり眠ることなく翌朝を迎えました。

明るいってステキ。


さて・・・・・・どうするか。
とりあえず会社に行くか・・・・・・ということで行ってみた。



交通量は限りなく少ないです。
近くの踏切は、遮断機の棒がありませんでした。
電車が止まると遮断機の棒をはずすんですね。


会社に行ってまずは後片付け。
さて、どうすんべ。
電気が無いので何一つ出来ません。
電話もならないし。
今、何を言われても何もできませんし・・・・・・帰るか。

なんてもたもたしてたらお一人ご来店。
管理物件に入ってる方でした。

電話が繋がらないから来たわ。
家の周りに地割れが出来て、液状化になっているの。
今は何も出来ないと思うけれど伝えておくわね。

と言い放ってどっか行きました。


帰り際にその貸家、というか貸家の前と大家さん家に寄ってみました。

016.JPG

あららら、確かにやばいかも。
小さな液状化現象が至る所で。
道路と側溝の間に隙間も。貸家の基礎にもクラックがビビビと。


大家さんに報告報告。
ピンポ〜ンの前に、敷石が真っ二つに。

げげげ、大家さん家もです。

018.JPG
敷地内のアスファルトも真っ二つ。
ここも口がパクパクしたそうです。
話をしていると、
「うちは水が止まっていないけど水の量が凄く少ないの・・・・」
まぁ、それは大変と裏に回ってみると、水道管破裂でしょうか、こんこんと水が湧いています。
昨日から・・・・・・
そりゃぁなんとかしないと。
貸家より大変だわ。

一か八か水道業者の携帯を知っている人に電話。
奇跡的に繋がりました。
地震発生の夜から仕事のしっぱなしだそうですが、
緊急を要する所には行きますとの話で午後には来てもらうことにしました。

後ほど聞いた話ではここの修理代は役場で出してくれたそうです。


ここの被害は、2度目の余震でさらにひどくなり、先日やっと終了しました。
耐震補強となるとものすごい金額がかかってしまうので最低限のもの。
築年数が築年数なので。
また大きな地震が来たら契約の消滅(建物が用をなさなくなる)かもね・・・・・
一応、修繕と賃料値下げでおさめました。


この後は家に帰りました。
なんだかんだと日も暮れてさびしい夜がまたやってきました。
「ちびまるこちゃん」をやっているかも・・・と姪っこの淡い思いの為にテレビを電池でつけましたがやっているわけも無く・・・・・あの津波の映像を見ました。

息をのむ凄さでしたね・・・・
津波って初めて見た。
数年前にスマトラ島沖地震の津波の映像も見たことは見たのですが今回ほどいろんな映像も目にしませんでしたので良く分かりませんでした。

よく映画でみる津波って、サーフィンするようなザッパーンという大きな波が来る感じだったのに、
今回のは海の水があふれて流れ込む感じ。
しかも真っ黒な水が・・・・・

しかも北は北海道から南は千葉まで・・・・・広範囲です。
初めてのことです。
やっと全体像が見えてきて、はっとしました。
義姉が仙台の蒲生地区に住んでいることを。
おもいっきり津波が来たところです。
しかし、全くメールも電話も通じません。
でも、なんとなく生きてる気が皆していたのでした・・・結果生きておりました。
きっと死ぬはずはないと思ってもいなくなった方も大勢いるのでしょうね・・・・・・

3日目にして母親の確認の為に実家に向かいました。
一昨年にオール電化にリフォームしておりましたのでかなり不便だろうと。
道中の国道はすでにガソリン待ちの列が出来ておりました。
実家の方は、自分の所よりも早く電気が復旧しており行った時には電気がついておりました。
我が家は植木鉢1個が転んだだけというなんとも平穏だったようですが、
土地が揺れづらいというよりは、家が頑丈なようです。
お隣の奥さんが地震が怖くて外に出ると、自分の家はゆらゆら揺れているのに、
我が家はぜんぜん揺れていないと言われたようです。
今回のリフォームの内容には文句タラタラありますが、さすがですS水ハウス。

しかし、暗い所に一人でいるのは心細いでしょうから顔を出したことで安心したようです。

カセットコンロ、反射式ストーブ&灯油、懐中電灯も常備してあったためにそれほど窮地に迫られたことはなかったようです。

やはり備えは必要ですね。

しかし、オール電化は、タンク内のお湯を使ってしまうと、即お湯が欲しい時には大変なようでした。ま半日くらいなんですけれどね。


車のターボを回さないように静かに帰ってきました。
しかし、ガソリンであんなに苦労するとは・・・
posted by 日本花子 at 16:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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